読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

介護への複雑な想い、実体験を語ります

雑記

「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末 (デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

自分介護していたから、気持ちは分かる。自分も退職して介護していた。ただ自分はたまたま自宅で仕事ができるスキルがあったから生き残れた。

2016/11/17 10:46

この記事を読んで複雑な感情を思い出した。苦しくて、悔しくて、切なくて、嫌悪感、後悔、とにかく嫌な感情だ。何故そんな感情をしたか言葉にして吐きたいと思う。

僕は1年ほど母親の介護をした事がある。母親を一人で介護したのは、養父が介護出来ないと言われたからだ。誤解を与えないように説明するが養父が介護したくないという訳では無い。現在田舎に住んでいるので、碌な介護施設も病院も無いからだ。



母親の背景についてはなそう。母は再婚しているが、とにかく夫婦仲が悪い。僕から見ると両方に原因がある。夫は偽装離婚疑惑がある。再婚当初、母に生活資金を与えなかったそうだ。そして夫の実家を巻き込んで盛大な夫婦喧嘩をして、なんとか普通の生活ができるようになった過去がある。

何故、偽装離婚かというと結婚当初から前妻と頻繁に連絡を取っていたようだ。普通の生活になった後も前妻と連絡を取っていたらしい、また他の女の人と浮気をしていた疑惑もある。母の話によれば、前妻と結婚していた時も浮気していたとのことだ。夫はどうしようも無いが、仕事は凄い。海外出張は普通にあるし給料も高い、そして地位も高い。

僕は、この夫のことを本当にどうしようも無い男なのか分からなかった。母が死んだ後も分からない。何故なら、自分の母親は統合失調症だ。統合失調症は心の病気であり脳の病気だ。妄想、幻聴が酷くて現実では起きていないこと、起きているとして信じる。そして、その妄想を周りを巻き込む。

僕は、母が再婚するまで、小学生の終わり頃まで離婚した父の元で育ててられていた。実際には、父は忙しくて面倒みられないから実家のお婆ちゃんに預けて育てられいた。母は再婚すると、年に一回、毎年会いにきていた。ある時、年一回の再会で別れる時、子供心で別れがとても寂しく感じて、一緒に住みたいと言って、色々あって住むようになった。

そして一緒に生活して衝撃の夫婦仲の悪さを知った。それから育てられたが、頻繁に訳の分からない説教された。夫の不満のはけ口、そして妄想と思える原因でだ。朝から寝るまで説教されて、僕は疲れ果て、いつかは説教で嫌な思いをしない様に感情を凍らせるようにした。もし自分が反論すると「出て行け」と言われるから黙って我慢していた。それでも夫婦仲が悪くても自分を育ててくれたから愛情は持っていた。

そのように生活しながら、社会人になって一人暮らしして数年すると、母の様子がおかしくなった。

以前から夫婦仲が悪くが、夫が怪しい行動をしていたと頻繁に言うようになった。僕はいつものことかと聞き流していたが、だんだん妄想じみてきた。酷いのは歯のインプラントで寝ている間に、盗聴器を埋め込められたや、耳の中にスピーカーを埋め込められた。そんな事を言っていた。

そして一人暮らしの自分の所に夫のから逃げ出してきた。それから暫くすると妄想と幻聴が酷くなった。その状態でも僕は統合失調症を知らなかったので、ずっと我慢していた。ある時、限界を迎えたのか白目を向いて泡を吹いて倒れた。

僕は慌てて救急車を呼んで病院に緊急入院した。そこで初めて統合失調症のことを知った。そして母には、電気治療というのを行った。頭に電気で刺激を与える事で統合失調症の症状を劇的に良くする治療だ。夫は夫婦仲が悪かったが入院費用全額出してくれた。

この治療は凄い効果があった、すごく穏やかになり妄想も無くなった。別人かと思った。そして話してみて分かった。小学生から一緒に住んでいた母の性格は全て統合失調症によって影響を受けていたんだ。

この時の感情は、今まで苦労して母と生活していたのは何だったのか、夫のあやしい行動も母から聞いたものだったので、それも妄想だったのか、今までの人生が信じられないような感情だった。妄想で自分で言っていたことも記憶から無くなっていたようだし。まるで統合失調症の間の人生の記憶が歯抜けになったようだ。

そして数年後、統合失調症が良くなっても夫婦仲は少し悪い程度だったが夫と生活していた。だが、たまに自分の所に夫から逃げることがあった。

逃げて自分の家に住んでいた時、突然倒れた。救急車を呼んで入院した。原因は栄養失調。母は自分が太っているから、ダイエットすると言ってよくご飯を抜いていた。その為筋肉は衰え、ついには限界を迎えた。そして退院すると寝たきりになった。

母は介護保険が効く年齢ではなかったが、特定の病気になっていると早期に受けられた。母の場合は統合失調症と椎間板脊椎症だった。ようするに腰が悪い。その為、早期に受けれた。

自分は介護の為、会社勤めを辞めてフリーランスになった。 母親一人だが、食事、風呂、トイレの介護はとても文章で表せないほど苦しかった。これが母が死ぬまで何十年も介護することになるのかと悲観していた。もの凄い愛情を持っている子供であれば苦しくても前向きに介護出来たのだろうが、自分は母に育てられた中で苦しまられた事が多かったので、愛情半分、母の嫌悪半分という感じで介護を前向きに考えられなかった。

だが、介護は一年で終わった。一年経つと、足に床ずれで壊死が少しできていた。これを治療するには頻繁にベットから体を動かして血行良くしなければならない。

自分には無理だと思った。仕事の途中で、そんな気を回す余裕は無い。そして、どうするかと悩んでいると、ある時母が息をしていないことに気づいた。救急車を呼んで死亡原因が分かった。エコノミー症候群だ。ベットから動かしていないので、血が固まり心臓部分で血が詰まり死んだのだ。

この時の喪失感は言い表せない、介護で悲観していて解放されたが、嬉しいとは思わなかった。自分は介護から解放された、それで良かったんだと自己弁護したが、母が死んだのは介護で足りないものが在ったんじゃないか、何か出来ることが在ったんじゃないかと悩んだ。

それから一年経ち、その感情や悩みも過去のものになった。

このニュースの記事を読むと、介護とは何なのか考えてしまう。親の介護をする。世間には、それが常識的であり素晴らしい事だと。しかし当人は、幸せでは無い。

介護される側も幸せでは無いだろう、子供の幸せを奪っているからだ。自分の母は頻繁に「早く死にたい」と言っていた。母親は自分に苦労させるのは嫌だったんだ。母の愛情は良かったが、介護への気持ちは楽にならなかった。

ではどうすれば良かったか、それはどうしようも無かった。改善しないまま介護するしか無かったのだ。

今現在の介護のモデルは、一般的なひと昔の家族を想定して出来ている。 結婚して結婚相手が介護して夫が働いて支えていく。

しかし現実では結婚しない男子が6割を超え、そのまま親が介護が必要な年齢になってしまう。一人で介護することになってしまう。そして平均年収程度では、親を満足に介護施設に入れる事もできない。

現在は、その問題を認識しつつリモートワークなどの国で対策をしているが、実際にはそんな対策している会社など少ない。この問題は他人事では無いと考えて、柔軟に働けるように対処している会社は大手ぐらいだ。

www.huffingtonpost.jp

このような取り組みは素晴らしい、しかし僕が心配しているのは、現在の日本超高齢化社会が進み、深刻なほど介護退職が増えれば、こういう取り組みも押しつぶされてしまうでは無いのか。介護で労働人口が無くなってしまうのでは無いかと思ってしまう。

僕には非人道的な解決案しか浮かばなかった。介護が必要な老人を一箇所にまとめ、面倒を見る事だ。

現在の介護施設の充実さは地域にバラツキがあり、地域によっては介護できないこともある。数が少ないから常にパンク状態だ。

だから日本中の介護に必要な老人を全て一箇所に集めて、大規模な介護施設でまとめて面倒を見る。介護の必要な老人を纏めることで効率的にするのだ。そして労働人口を復活させる。労働人口復活で増えた税金収入でこの施設を支える。

この案で僕が非人道的なのは、親を捨てるように子供から、遠い所に置いてしまう事、子供が親の事を忘れてしまうのではないか。そして親も子供に会えず寂しいではないか。大規模であるがゆえ、介護は細かいところに行き届かず杜撰になってしまうんではないか。何となく、この大規模施設に対して姥捨て山のようなイメージを感じてしまう。

外国人介護師を導入するとか国は言っているが、そもそも対応できるだけの人数を用意できるのか、介護施設のパンクはどうするのか、さらに介護費用を捻出することも出来ない介護世帯はどうなるのか。

日本にとっても、家族にとっても理想な介護とは何なのか想像もつかない。

僕が冒頭で述べたような感情は、介護で感じた事と、将来の日本にへの悲観にあるのかもしれない。

広告を非表示にする